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大海の賃貸に関する情報

今回の質問はどのような質問かな?

質問:
「いくら」がどうしても食べられない「いくら」を見ると、「これから、卵から魚になって、自由に大海を泳げるはずだったのに・・・・」と思ってしまって可哀想で食べられないんですが、こんな考えはおかしいですか?

興味深い質問ですね。

大海に関する賃貸情報はここに集まっている。あなたの新生活賃貸マンションのとこならおまかせあれ。

ピッタリの回ですね☆:
いえいえ、全然おかしくないですよ。

色々な考え方が有って良いのですから。

それに昨今は命を軽視する様な風潮の中で、自分より弱い者を、人間からもみれば動植物ですが、これを「可哀想で」と言う気持ちも大切だと思います。しかし、人間可哀想ばかりでは飢え死にしてしまいます。お米もパンも食べるし、魚やお肉も食べますよね。つまり命を食べているのです。

その事実に思いをはせた時に命を頂く事に対して無駄にしてはいけないし、感謝する、また魚も、肉もスーパーの販売店で売られる形になるまで多くの人の手を経ている結果であり、単に職業だからで片付け切れない要素を含んでいます。

遠洋マグロなんて命がけ、肉類だって精肉しないといけません。そういった方々への感謝もする訳ですが、根底には弱い者への慈しみ(可哀想もここに含まれるでしょう)があって命への感謝が生まれるし、派生して、流通にのせてくださる方々への感謝も生まれます。とは言え、いつもいつもこんな風に考えていると食事も息苦しいし生々しいですよね。(まあ、生々しいのは事実なんですけど)だから時々でもそんな風に考える瞬間が有れば良いのかなと自分は思っています。いくら・・・食べられなくてもいいじゃないですか。あっぼくは食べますよ、サケーーーごめんイクラ美味しいよーーって。イクラもタラコも鶏卵も大好きです。鮭も鱈も鶏、漁師さんも魚屋さんも、酪農家もお肉屋さんもみんな有り難う。

次回はどんな質問がかな?楽しみですね!

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